東日本大震災について考える時にどうしても申し訳なさを感じてしまう。
それは、例えば震災以降一度も東北を訪れていない事。
また、例えばすぐに本当に少額の募金をして以降募金をしていない事。
もしくは、例えばいろんな被害からの復興に対して見つめていない事。
別にそれに対して誰が不快に思うとか文句が出るとかはないのだろうが、
多分性格的な問題でついつい気を抜くとそういうふうに考えがちだ。
かといって、1年に1回だけメディアが取り上げるタイミングで、
ただ単にそれらを見てあぁ復興してきたねとかまだまだだねとか
感じたつもりになっておしまいにするのも何かが違う気がする。
あの日、私は休職中で家で寝ていた。
小さい揺れなら気づかないだろうが、携帯からの音もあり起きた。
私の部屋は3階にあるのでとりあえず2階まで降りたと思う。
そこからは詳しい記憶がない。
覚えてることといえば、友人から来ていたカラオケの誘いを中止したこと。
以降しばらくは、携帯からの音が鳴るたびにひたすら怖がったこと。
ずっとテレビから流れる津波・火事・爆発の映像がつらくなってきたこと。
計画停電で電気を使って酸素を吸入していた祖母の吸入元をボンベに変えたこと。
今は働いてはいるが徐々に貯金を崩している状態なのでなかなか募金ができない。
どちらかというと現在は募金よりも東北に足を運ぶほうがいい気がしている。
こんな状態なので旅行をするのはなかなかにハードルが高いが、
リフレッシュにもなるし、今年のうちに東北に旅行に行けたらと思っている。
そのときは、おいしいものをたくさん食べていい気分になって帰ってきたい。