っていうパターンが結構あります。
あちこちオードリーは好きだけどオードリーは好きじゃない。
久保みねヒャダこじらせナイトは好きだけど
この場合の「好きじゃない」はキャラクターと言うか性格について。
オードリーの漫才で笑うこともあるしヒャダインで好きな曲もある。
けど人間として好きかと言われたらそれは別の話。
このことをなんか良くない感情として秘めてた時もありました。
いつからか、不思議な感情ではないということに気づいてから
普通に外に出せるようになりました。
おそらくきっかけはナンシー関のコラムで、24時間テレビについてで
「泣いたことと番組の面白さは別」的な事が書いてあって、
個人的にとても勇気が湧いた話だったのだよなぁ。